辛夷祭にて
ポップコーン美味しかった:)


[学芸大附属生&暁星生&父兄向]
事件に見る組織論的な限界

keyword: 学芸大附属,暁星,組織論,マネジメント, いじめ,傷害
(>>>アメブロ版)



10月、11月と続いたいじめによる両校の事件。細部は知る由もありませんが、両校のみならず、 多くの学校に共通しているであろう、組織論的な面から見た学校の限界について考えて見ます。



学芸大附属でのいじめ/暴行事件





11月に学芸大附属で男子(学年不明)が酷いいじめにあっていた事実がまずあり、 その検証に著しく時間がかかったとのことで大きく報道されました。

学芸大附属は首都圏では渋谷幕張に次ぐ共学の進学校として知られていますが、 ここのところ徐々に実績を落としてきている学校でもあります。 とはいえ、以前から接点のある学生も心身も安定していれば極めて優秀な子だったので、かなり衝撃でした。

先日文化祭にもお邪魔しましたが、校内の雰囲気は悪くなく、恒例の演劇の宣伝を校内の各所でゲリラ的に行うなど、 一定の逞しさも感じさせていたので、大多数の学生にとっては取りあえずは問題ない状況のようにも見えます。

ちなみに、学芸大附属は一応一貫校の体裁をとっていますが、システムはかなり変則的で、国立附属であることも含め通常のそれとは大分異なります。 そのため浪人率も高めで、感覚的には高校受験組が主力の公立とさほど変わりはありません。 そういう意味では一貫特有のオタク率の高さや偏ったタイプはさほど多くはない印象です。

ここで大事なのはなぜ発覚が遅れたのだろうか、という点です。一般論としては教師の業務は多忙であるため、 グレシャムの法則よろしく通常業務に追われすぎている結果、微細な変化を察知したり、粘り強く懸念事項について様子を漏れなく伺う、 ということが出来なくなっているのではないかと思われます。




暁星文化祭にて
竜巻発生装置!
他では見たことありません



暁星の傷害事件



10月には暁星の傷害事件がありました。報道を伺うに,斬りつけた学生は思慮深い学生のようで、 そうであるがゆえに相当鬱屈した感情を溜め込んでいたようです。 また家からわざわざ持ってきたとあることから、計画的であることもわかります。

しかしこの事件についても副校長のコメントでは、いじめの事実を把握できていなかった、とあります。

ちなみに暁星にも文化祭にはお邪魔しました。カトリックの学校全般に共通して見られる特徴ですが、校内の雰囲気は穏やかで、 勢いや激しさのある子がパフォーマンスで弾けまくる、という場面は見ませんでした。

サイズも小さな学校であり、 進学実績にこだわるタイプの学校でもないため、多くの学生にとっては居心地の良い学校であることが想像されます。 ちょっとお話に乗ってくださった2名の先生もとても感じのよい方々でした。




もちろんこうした問題は一部の学生の人間関係から生じる、局所的なものです。学校の基本方針や理念、 教師の基本的な対処の仕方に問題があるとは思えません。 しかし両校に限らず、いじめや自殺といった事件が起きると殆ど全ての学校はその事実を隠そうとすることは、 他校のobogからも各方面から伺うところです。



ではなぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか、また、起きた折にそれを隠そうとするのでしょうか。 少し考えて見たいと思いました。




箱庭の「自由」


多くの上位の学校に通う学生は「自由」を標榜します。ただし彼ら彼女たちの自称する「自由」の定義は、 学校の歴史・理念・戦略・方針その他が暗黙理に織り込まれたものであり千差万別です (が、当事者はその構造に自覚していることはほぼありません)。

学校側としてはなるべく学生に箱庭の「自由」であることを伺わせないよう、ゆったりと構えようとします。 そしてそれができる学校はさほど多くありません。

まず学生の粒が揃い、ある程度判断能力が信用できること、施設やカリキュラムが整い、 意図的に管理せずとも自然と良い「実績」なり業績を上げられるような環境が整っている学校は限られているためです。

その与えられた「自由」の中で、気ままに学生たちは生活をし、自分の限界に挑み自分を伸ばしていこうとします。 しかし逆説的ですが、優れた学生、思慮深い学生であればあるほど、その舞台装置としての、 つまり組織論的な面から見た学校の限界に気づくことになります。





目を行き届かせるにも限界が


舞台装置としての学校の設備や、教師の指導力に全てを求めるのは無理があります。 まず通常の学校では1クラス40人前後のサイズを抱えていることが通常で、 これは授業内で学生全員の思考を読み取れるような環境ではありません。

これに加え日常業務が多忙であるのが通常の教師であるため、 一人一人の学生に十分な時間を割くことはまず無理であろうことが容易に想像されます。

筆者自身も第三者の立場で学生に関わる立場にありますが、授業中把握できる学生の数はせいぜいどんなに多くても10人程度が限界、 心身の状況をリアルタイムで逐一把握するにも、最大で100人程度が限界であると感じます。

これに加えて学校教師は学年団の形で1学年全体の指導に責任を負っていたり、 更に部活や学園祭の単位でまた別の学生とのコミュニケーションに時間と労力を割くことになります。

これは相当超人的な人間でないと務まらない仕事でもあれば、やはり組織としての限界を感じずにはいられません。 把握すべきは人間であり、情報や物の管理と違うため、ただデータを集めて理解できていれば良いというものではありません。



隠そうとする学校の態度の(組織の構造上の)限界


教師としてもベストを尽くされていらっしゃるとは思います。しかし組織としての問題を個人の能力でカバーするにも限界があります。 ましてや許容量を超えている前提でやりくりしているわけですから、基本的に無理なことを期待している構造が浮かび上がります。


大企業の不祥事と相似をなすかのよう


以前他の記事でも指摘しましたが、リーマンショックに始まり、オリンパスやVWといった誰もが知る大企業での粉飾や詐称行為が頻発しています。 最大の原因はベンチャーや小規模の組織に主役を奪われ、構造的に収益を上げられず、 犯罪に手が伸びてしまう状況になってきたためだと指摘する専門家も多くいます。

つまり問題解決能力を組織に期待できないという構造です。こうした学校の事件や日常的な隠蔽行為を目の当たりにするに、 大企業と相似をなすかのように学校に多くを期待することが無理ではないのかと、直観的に考えています。 機動力の低さと、ドラッカーが指摘するような、エスタブリッシュメントである伝統的な組織に対する過大な期待が、 学校を自滅に追い込んでいるのではないかという疑念です。




科目学習に追われすぎて
読書の時間すら削られている多くの学生


人の考えが見抜けない進学校の学生


ここ10年程度のトレンドで学生を眺めて見ると、周囲の知人や友達が腹の底で何を考えているのか、 見抜くなり共有できていない学生が増えたなと感じています。

原因はいくつか考えられ、関心を持つ娯楽や専門分野の細分化、加速度的に情報量が増え、 より多くの時間と労力を要求されるようになった科目学習、 そもそも対話が前提とされていない集団指導などが重層的に影響を与えている手応えがあります。

その結果多くの一貫校ではオタクが量産され、「人権がない」などと愚痴をこぼしたり、 「コミュ障」と自称したりと、多くの学生の間で人間疎外が恒常的に起きる状況になっています。



歯止めがかからない人間疎外


それでもなお多くの父兄は進学において理想の結果を残すため、その慣性に歯止めをかけ、科目学習、 それも極端に受験指導に偏ったそれから離れることができない現状があります。

なるべく受験を意識したくないと考える学校側との間にも摩擦が生まれることに加え、 コミュニケーションを不得手としている教師も少なくない(というより大多数ですらある)ことから、 歯止めがかからない状況が続いていると考えられます。

もちろん個人の能力やたまたま恵まれていた家庭環境によって、リーダーシップやコミュニケーション能力に磨きをかける学生もいますが、 学校全体でそうしたポジティブなドライブがかかる構造にはなっていません。



machine(ドライな組織)として受け取るべき学校


こうした構造を鑑みるに、学校組織にエドマンド・バークの言うところの中間組織や、 家庭的な共同体の運営を求めることは極めて困難になっていることがわかります。 今の子供達が精神的に疲弊している、と言われることが多いのもこうした背景があります。

そもそも学校に多くを求めすぎだと言う話もありますが、教師も人間であれば組織も制度疲労を起こしているのが多くの学校です。 共同体としての学校を蘇らせたいと考えるのであれば、人件費を2倍3倍に増やし、クラスの規模を少人数に分割し、 教師一人当たりのストレスを下げ、組織論的な問題やオペレーションにより取り組めるような余裕を 持たせるなどの対策が必要であると考えられます。

しかし現状では外部機関に求めるしかないかもしれません。役所と同様、学校組織を短期間のうちに大きく変えることは、 学校間での競争原理が働きづらい性質上、極めて困難であるためです。



現状を鑑みるに、こうした問題の構造を解決するための自浄作用を学校に求めるのには無理があると考えられます。 論理的な帰結としては上記に指摘したとおりですが、教育には多額の投資がかかるのは今更言うまでもないところです。 理想を望むのであれば、それだけの費用がかかります。

代替手段として科目学習についてはfreeのビデオ講座などを利用し、 更に奨学金を受けると言う手もありますが、かなり変則的な対応です。家族にとって本当に必要な教育は何なのか、 そして何に対して対価を支払うのか、今一度再考していただく必要があるのではないかと思われます。










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