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[父兄・学生向]
対話が苦手な学生が
貧しくなる、その理由

keyword: 世代間経済格差,個人主義,人間疎外,
対人コミュニケーション能力,マネジメント,障害
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1,2世代前と較べても、今の学生は互いに干渉せず、また関心を持つことも少なくなっている手ごたえがあります。 これは多くの学校教師も感じていることであるようです。この事実と豊かさをもたらす上での問題点を少し整理してみます。



豊かさの底上げの問題を直視する


若年層が貧しくなっている一番の理由は、失われた30年という言葉に表されているように、 親世代以上の大人たちが豊かさの底上げという大きな問題の解決を先延ばしにしてきた― 特に政治的政策論的な問題意識において―ということがまず第一に挙がりますが、学生側にも問題は多くあり、 能動的に他者に働きかけ束ね人を動かす力、つまりマネジメント能力やリーダーシップに欠けているのではないかと 日ごろから感じています。

90年代以降に生まれた今の学生たちは、景気がよいという状況がどういう空気を世の中にもたらすのか、 実感することが出来ていません。そのため何をすれば豊かさを生み出すことが出来るのかもまた、 実感できないという状況にあります。

学歴や肩書きがあるから所得に直結するというような時代ではありません。所属や属性問わず、如何に価値を生み出すかが 一人一人に問われ、そのintangibleな問題を自ら探し掘り当て、行動して価値に結びつける高度に統合された能力が問われています。

これにあたり多くの中高や大学でも、「自由な」学びを標榜し、その「才能」を育もうとするわけですが、 改めてそこには一定の罠があることを考察します。



学生に「やりたいことをやらせる」自由放任の罠


学生が互いに干渉しなくなっている大きな理由の一つは、価値観の多様化です。娯楽や産業の多様化が進んだため、 選択肢が増え専門化が進んだ反面、互いのことを理解するにも情報や知識の量が増えているという現実があります。

こうした背景を踏まえ、指導側も「やりたいことをやる」環境を整えることは、 学生の芽を育てる上で大切なプロセスです。 しかしそれを容認することは、自由放任を肯定することでもあります。「やりたいことをやらせる」親も同様です。 自由放任の生き方は市場原理と直結し、ただの市場原理に基づいた需要と供給でしか人を結びつけることができません。 つまりイノベーションを起こすことが出来ません。

自分で場なりコミュニティ、市場を生み出せないのは、表面的な属性や日ごろ接触している情報や知識の差異に囚われ、 その奥にある異質な他者の存在・思想・哲学を意識し深く理解することがいかに重要か、 自覚できていないためです。それは関心の対象が狭くなり、他者の視点を排除することを意味します。

相手に対して何ができるのか、本当に相手にとって必要なことは何なのかがわからなくなり、提案も出来なくなります。 アルバイトにしろ、部活動やサークル活動にしろ、利益も出せなければまともな仕事にならなくなってしまいます。



互いに干渉しなくなっていると 指摘する先代の開成校長


「きたら喋る」の罠


「来たらしゃべる」というのは、「言われたら仕事をする」とする、いわゆる指示待ち人間と同じです。 これの問題点はその外形的なスタイル自体にあるのではなく、 相手の深い意図やより根本にある問題なり人間を見抜けないことにあります。相手の背景や事情を深く捉えることができません。

当たり障りの無い対応や、取りあえず不快感を与えない程度の関係は、 その人物なり関係は互いにかかる当面のストレスを軽減する効果もありますが、 「相手の意思を尊重していて寛容である」ということを意味しているのではなく、 単純に人間が表面的な感情しか受け取れていない、という幼さをもまた意味しています。 よって長期持続的な関係を構築する足がかりが失われた状況が常態化することになります。



「黒板に書いてもらったらわかる」と同じ感覚


数学の駿台偏差が40くらいの学生が、指導者の板書を見て、わかった気になるあれとまったく同じです。 自分で答案をまず再現することができない、という学生がよくいますが、 こうした学生は学力がまず身についていません。

授業を聞いた後自力で答案を再現できるようにできることが大事で、正確に記憶することがまず必要です。 その上でそれよりも難易度の高い問題に対しては、その型を変形させたり、 学んだ認識の仕方や多角的な視点を転用して自力で答案を書き上げられるようになる訓練を積み上げることになります。 当然時間も労力もかかりますが、異質な他者を理解するためにもこの双方が要求されます。

家族や学校の友達といった、距離の近い人間同士の対話を通じて相手を見抜く力を磨き、 その上で学外に出て異質な他者を見抜く力を養っていくことが重要となります。


食事会ではよく、「一貫校には綺麗に磨き上げられた"部品"のような学生が多い」という話をしています。 きわめて狭い、特定の分野で役割を与え、指示を出せばすばらしい効果を生み出すことは多いものの、 自らの手で部品を集め、物を組み上げ大きな成果につなげることができないという意味合いです。


言語と計数の両立の大切さが現れるマネジメント能力


文理双方に伸びていく学びがいかに大変で、それが重要か、言語だけだと価値を生み出す源泉となる技術や、 計量的かつ厳密な論理性が失われ、科学だけだと人間を見抜けなくなるためです。

これを組織として役割分担し補い合うことで妥協するのが、従来型の官僚組織であり大企業であるわけですが、 そのやり方がすでに機能しなくなっており、大企業の不祥事が世界中で業種問わず頻発していることは他の記事で記しました。


そのため文理で隔て、「文系だから数学はやらなくていい」「理系だから言葉が弱くていい」という言い訳は通用しない時代となりました。 そしてこれと併せて磨くべきが周辺を束ねるマネジメント能力で、多くの高校生・大学生にとって、サークルや部活動、 短期での就業経験などを通じて原型を身につけるべきものです。

まずこのことを多くの学生と父兄が直視できていない、あるいは認めようとしない手応えがあります。 生き方自体が後ろ向きになっているのではないでしょうか。それほどまでに重要なのがバランスの取れた力の上に成立する マネジメント能力です。



大きくバランスを崩すと障害を患うリスクも


障害にも色々なものがありますが、例えば睡眠障害の場合、極端に偏った頭の使い方を続けているとなる傾向があるようです。 事実周りの学生を見ていても、数学だけはできる、英語だけはスコアが抜群に良い、というタイプには、 睡眠障害をはじめとした生涯を患う学生が多い手応えがあります。障害を患うストレスも相応にかかる 知的労働の多くを、長期持続的にやりきることが難しくなります。これもまた貧困化の引き金となります。

双方を大事に鍛え続けていれば30,40過ぎてもなお後々伸ばしていくことも可能ですが、 偏った認識の仕方をしていると一生修正が効かなくなります。 そうならないように中等教育の段階から、まず魂から磨かないといけません。



科目「指導」という名のレントシーキング


多くの大学生にとって「割のいい」仕事は受講講師・家庭教師のアルバイトです。 直前まで詰め込んでいた情報や知識を吐き出すだけの科目「指導」は、多くの大学生にとって楽な作業であり、 また結果責任を背負う義務も原則無いのでストレスもかかりません。しかしその実態は教育ではなくただのスキルの供与であり、 人格形成に対する責務を負っていない、サービス業です。

もっと言えばそれは教育という公益事業とは対極にある、レントシーキングです。 レントシーキングとは本来公的部門が利益を度外視してでも全ての市民に提供するべきサービスを、 民間が競争原理に基づいて提供することでその利益を搾取し、多くの人々の将来に渡る便益を奪い去る行為です。

それがわかってない、「教育に関心がある」学生が多すぎると昔から感じます。家庭教師や塾講師を「割のいい仕事」 と捉えている間はこの罠から抜け出ることができていません。そして家庭側もこうした学生をやとってはいけません。 必ず人格形成を停滞させることになります。



自然体で時間と労力を割く


自分の世界観だけを愛していると、偏った頭になり、また自分の世界から一歩も抜け出れなくなり、生産性が宿らなくなります。 そのためには苦手としている科目や分野にも能動的に学ぶ必要があります。衝突を恐れず、時間と労力をかけ互いを理解し、 磨き合い、自身の認識の仕方自体を絶えず上書きしていくことで、初めて新たな世界が見えてきます。

心身が消耗するプロセスから逃げることを恐れるのではなく、自然体で受容し、変化していく自分自身に喜びと楽しみを覚える姿勢と 実践が大切です。当然そうした変化の中で自身を見失わないためにも、日ごろから表面的な知識や情報に惑わされず、 自他のよって立つ背景や事実が何に即しているのか、そしてより大きな問題はどこに潜んでいるのか、絶えず模索する姿勢も これ以上に重要となります。










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