灘obで理Ⅰの松本くん
JG,神女,筑駒の現役生
が集った、食事会での
cocならではの象徴的な1枚

[cocの方針:全国の学生をつなげる意味]
首都圏と関西圏を繋ぎ、多様性を確保する

keyword: 多様性,diversity,リーダーシップ,経済成長, 数学,英語
(>>>アメブロ版)

この記事では中等教育の現場、つまり学校において多様性(diversity)が失われていることを指摘し、 それを確保することがなぜ大切なのかを読み解くと同時に、classoncloud(coc)ではなぜ、全国の学生をつなげようとしているのか をお伝えしたいと思います。

1.「うちの学校にも“いろんな”人がいて楽しいから」

殆どの中高一貫校の学生は、その生活スタイルが自身が通う学校の友達との生活で閉じています。なぜ学外の同世代の子達と 付き合いをしないの?と尋ねると、

「うちの学校は自閉的だから」
「うちの学校にも“いろんな人”がいて楽しいから」

と答えるのが通常です。特に進学校の場合、周りには知的水準の高い友人・知人も多く、 刺激もまた多ければ、腹の底では自分の学校にプライドを持っていることが通常でもあるためです。



2.”多様性”が不在の、日本の殆ど全ての中学・高校・大学

しかし上記のコメントにもあるとおり、 ご覧になっている皆さんは、「いろんな人がいるなら”多様性”はあるんじゃないの?」と思われるかもしれません。

実はここで使われている”多様性”という言葉は、原義が異なる二つの語彙を混同した使われ方をしています。 上のコメントの文脈で言うそれは、「あいつは数学が出来る」「あの子はかわいい」この程度の違いしかありません。そしてこの程度の 違いは英語ではvariationが該当します。

ではもう一つの語彙は何なのでしょうか?それがdiversityです。 diversityとは宗教観・文化圏・母国語・人種・民族、このレベルで違うものを指します。

ただでさえ中学受験の頃から同質化されている上、塾に行ってもどこかで見たような面子がまた集まり、 東大を始め大学に入っても似たような面子しか集まらない日本のそれは、既にdiversityが失われています。 そして一部の優秀な学生の中には、その環境に違和感を感じ、海外進学をする子もいます。

「diversityが失われていることはわかった。でもそれがなぜ問題なんだ?」皆さんはそう思われることかと思います。 ここで皆さんには以下に続く文を読む前に、自分なりに少し考えてほしいと思います。なぜdiversityが必要なのか。 傍らに、日常的に人種や肌の色、異なる宗教観を持つ友人と共にすごすことになったならば、今までと何が変わるのでしょう。 そして海外進学をする子達は、そこに何を求めているのでしょう。



3.diversityが大きな豊かさを生み出す土壌となる

人類の歴史を振り返ってみても、大きな成長や価値を生み出す局面においては、必ず異文化の衝突が見られます。 たとえばシルクロード。中国とインドの文化が貿易を通じて交じり合い、新たな模様の陶磁器が生まれました。 もう一つの例は Mac Book Air.発売当時革新的だと評価された、極限までスリム化された筐体の中には、 「内側を鍛えることでから美しさは宿る」と言う禅の思想が裏づけされていることは良く知られた話です。

科学・技術は日進月歩でもあれば、それ単体では競争相手に直ちに追いつかれ、 また面白いものも生み出されることはありません。 価値を生み出すにあたり科学・技術に対する深い理解が必要であるのは勿論ですが、 それと同等以上に異質な他者に対する理解と吸収が重要になってくるわけです。



4.異質な他者との出会いが自分を大きく変える

昨年度は40回以上実施した食事会で使っている資料より


アメリカやEU圏の大学では、入学時に長時間面接を課すことが知られています。これは何を見ているのかというと、 その学生が今まで学生生活を通じてどんな成果を上げてきたのか、 そしてそれを受けて現在は何に取り組んでいるのか、そしてその大学に入って周囲に何をもたらし、 どのようなchemistryを生み出しうるかを見ています。

海外の大学では学生をselection(選抜試験)にかけるのではなく、admissionつまり採用する形で学生を受け入れます。 これは企業の就職面接と全く同じで、その学生の知能の高さや学力水準は、価値を生み出すための一つの競争力として捉えられてはいるものの、 それ自体が全てに優先する、というわけではないということを意味しています。

大きな価値を生み出すためにはまず異質な他者を深く理解し、敬意を示し、その良さに倣い、 相手を気遣いながら協働するための時間と労力を裂く必要があるわけですが、そのための資質そのものを見ていると言えます。 まさに就職面接と同じですね。

他方で日本の大学ではそれは課されません。残念ながら多くの中高一貫では、 オタクや外部の異質な他者と交われない学生が毎年量産されている事実がまずあり、 chemistryを生み出す土壌が既に失われてしまっているのが現状です。 そこそこの時間と金を持て余して、同質化された狭い世界の中で無自覚なレベルでの馴れ合いが生じてしまい、 「大学に通りさえすれば自立への道を辿れる」と錯誤してしまっていることが直接の原因です。海外進学をする多くの子達は、 こうした背景に嫌気が差している現状を、私たちは直接会ってヒアリングし、見聞きしてきました。

当の本人たちは、当面のところは居心地が良いですが、自分の世界にこもる人間は何ら新しい価値を生み出しません。 長期的に見ても大きな価値を生み出すような人間に育つための、人格形成が進むこともありません。 新たな価値とは他者との関係を再定義することで初めて生み出しうるものだからです。



5.価値を生み出すプロセスに絶対不可欠なリーダーシップ

異質な他者との関係を構築するためには、当然勇気も時間も労力も要求されます。何をするにも四面楚歌からのスタートです。 自分の世界にこもっている間はそれらは要求されません。 オタクや狭い人間関係しか構築してこなかった学生が、自身の感覚を言語化し、相手に伝える力が極端に弱いのは、 一見無駄ともとれる人間関係の構築に必要な備えを放棄してしまうためです。

そしてペーパー特化の、現状の受験指導中心の中等教育においてはその力が、能動的に養われることはありません。 主観的な視点からすれば無駄ととれる人間関係の構築力は、客観点的な視点からすればその姿勢自体が不合理でしかないというこの矛盾は、 経済学で言うところの合成の誤謬とも合致する現象です。

ここで重要になってくるのがいわゆるリーダーシップです。周囲の人間を深く理解し、直接間接に、能動的に働きかけては 関係性そのものを少しずつ組み替え、組織や共同体そのものを動かしていく力です。リーダーシップを養うためには 頭の中だけで考えるのではなく、異質な他者と交わり、共に多くの経験を積み上げ、皮膚感覚でその経験を蓄積しては 相手の世界観を吸収していくことが必要ですが、残念ながらこれについても進学校の教育では実現しえていません。 学校と言う同質化された共同体にのみ属している限り、リーダーシップが宿ることはありません。

また男子校では特に、縦書きの本;新書や小説を読む学生が極端に少ない現状があります。読書は 見知らぬ人と出会うことと同じ機会を与えてくれますが、この意味でも進学実績の特によい男子校では、価値を生み出す力が 大幅に失われてしまっています。



6.イベントで「刺激を受けた」だけではダメ

そういうわけで、学校と言う場では大きな価値を生み出す土壌が既に失われています。 機械的なペーパー対策に時間を割きすぎた結果、人間性(humanity)が失われ、その先にある自分らしさ(identity)も未熟なまま 時間だけが過ぎていきます。 中高一貫でオタクや外部の異質な他者と交われない人間が量産されているにもかかわらず、その体質を改められないのは、 一重に人間としての脆弱さを意味しています。また多くの一貫校ではobの教師も多ければ、同質化のドライブがさらにかかり、 自力での軌道修正が利かなくなっているのが実状です。もっと言ってしまうならば、学校教師もまた競争環境にほぼさらされていない、 と言う意味で、普通の社会人とは異なる特殊な環境に身をおいていることが通常で、リアリティを帯びた職業観を学生たちに 伝えることが出来ていないこともあります。

イベントや学生会議に顔を出しただけで、「いろんな人がいて刺激になった」と答えるタイプの学生もいます。 残念ながらこれも典型的なダメな学生で、そもそも相手を深く見ていない上、相手から具体的なものを掴むことが出来ていません。 そもそも対話とは、短期間でなしうるものではなく、長時間をかけて相手を深く理解して初めて実現しうるものです。

交わったところで他者にrespectを払い、良い面を可能な限り自身にも取り込むと同時に、 相手にも提供することができなければ交わっていないのと同じになってしまいます。相手と何も共有しておらず、 よって排他的であることは変わりがないためです。



7.スキルの提供と教育の違い

人間性が失われつつあるにもかかわらず、人格が損傷してでもただのスキルである科目学習を提供するならば、 もはやそれは教育ではなくただの洗脳になってしまいます。 人格形成には対話が、それも経験に基づくリアリティを伴う対話が必要です。それが欠如している人間は、 もはや人間でないとすら言えます。人の上どころか間に立てなくなってしまいます。

人の間に立てない自分を正当化するために、スキルや学力で他者を殴ることを始め、 挙げ句の果てにはそれによって蔑視を始める学生すら、中にはいます。



8.首都圏と関西圏の違い

大阪に住む学生たちと@梅田


ここで一つ、diversityを語る上での一つの切り口となる、首都圏と関西圏の違いを見てみます。

昔から模試のスコアを見ていても、首都圏の学生のほうが英語の能力に優れ、関西圏の学生のほうが数学の学力に優れます。 これには多くの事情がありますが、

①首都圏のほうが職業が多様で人も多く、コミュニケーションの大切さを自覚している学生が多い
②関西圏では医学科志向が強烈に強く(「とりあえず医学科」と口にする学生が多くいる)、 また首都圏と比べても産業集積に劣るためサービス業その他に価値を見出されていない
③関西圏のほうが医学科を設置する国公立が多い

等が考えられます。灘と筑駒を比べてもあきらかに数学の力は灘が頭一つ抜けている反面、英語と数学のバランスと総合力は筑駒のほうが上です。 また関西にはJGや武蔵のような、文系の進学者のほうが多い一貫校はありません。さらに言ってしまえば、中学受験においても 関西の上位の男子校では軒並み社会を課さないため、その意味でも人間関係の構築力を伸ばすにあたっての基礎が甘い子が多くいます。

科目学習を離れてみても、たとえば大阪は安さ至上主義の気があり、よってデフレ圧力がかかりやすい傾向が慢性的にあります。 デフレ圧力がかかりすぎると競争過多になり、新たな産業の種が芽生えにくくなり、よってさらに信用が収縮していくと言う、 危険な傾向へと繋がります。自然と文系側の職種やサービス業に関心が向かなくなれば、渋谷・恵比寿のようなベンチャー村もありません。



9.文化障壁を超え、互いの良さに学びあう

人種や宗教観の違いは無いとは言えども、ここまで違うと流石に感覚も変わってきます。そして首都圏の学生は関西の学生の 数学の感覚に学び、逆に関西の学生は首都圏の学生に言語の感覚に学ぶことで、単なるスコア上の、受かる受からないではない競争力を 身につけることが出来るようになります。

文化障壁を超えるには時間と労力が必要です。よって日ごろの科目学習に追われっぱなしの、知的許容量に余裕が無い学生には 向かないスタイルかもしれません。他方で趣味やつまらないroutineに時間を割きすぎて、目先を見失ってしまっている学生も 沢山いることも知っています。

時間と空間を超え、自分に足りないものを直感し、秀でたものを他者と持ち合うことで、対話能力も含めて磨きあう。そんな場を 私たちは提供しています。










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